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プノンペンの見どころ
カンボジアの首都、プノンペン。規模として国内最も大きな街であり、政治、経済、文化、 産業、メディア、ファッション、すべてがここに集まる。王室も然り、シハモニー国王以下王族 は、ここプノンペンに居住する。都なのである。北ははるかチベット山中から流れ出で、6つ の国をまたぐ大メコン川。プノンペンは、メコン川に接した地域に位置する。世界中から物資
が運ばれ、人も情報も集まる。 観光地として有名な見所は、アンコール・ワットからの遺産が収まる国立博物館や、プノン ペンの発祥の地とされるワット・プノン、美しい王宮。リバーサイドでは、軒並み連ねるカフェ バーのテラスに腰掛けて、人ウォッチングがおもしろい。また、かつてのフランス植民地で
あったという名残りから、建築物や食生活に西洋の影響が見て取れる。 東南アジアの活気に溶け込んだ、瀟洒(しょうしゃ)なコロニアル様式の建物やフレンチ、ク メールの美食。異国情緒たっぷりの「外国旅行」を満喫できる特典がいっぱい、それがプノン
ペンという街だ。 ア、世界において、稀なるユニークな土地であるということ。首都たるものにあって欲しいも のはしっかり揃っていながら、あっちからこっちまで、ものの数分で辿り着いてしまう。凝縮? ワット・プノンから独立記念塔まで5分! セントラル・マーケットからリバーサイドまで4分!
アジアの中で、もっとも大きな、小さい街! (のぞ)む、黄金色の美しい建造物。何も 知らずに初めて目にする方は、「この建 物は何?」と思うに違いない。ここは、シ ハモニー国王の住居であり、公務の場 なのである。ある意味国の最も重要な、 そして中心であるといえる。広々と空 (あ)いた道に沿って、白い壁がぐるりと 囲い、直立不動の近衛兵(このえへい) が、そこが守るべき場所だということを
示している。 1866年のプノンペン遷都(せんと)の際、 当時のノロドム国王がこの地に宮殿を 築き、1919年のシソワット国王による再建で、現在の造りとなった。さまざまなガイドブックで 「王宮」として掲載紹介される有名な建物は「即位殿(そくいでん)」で、敷地内のほぼ中央に 建てられている。戴冠式(たいかんしき)や国王誕生日など王室行事が執り行われる。他、 「ナポレオン3世の館」と称される洋館が珍しどころ。ただなにより、いくつもの棟が点在する 広い敷地、美しく整えられた庭を散歩するように、雰囲気をゆっくりと味わってみるのがお勧 めの楽しみ方。王室の場だということを心に留め、礼節を忘れずにいたい。なお、晴れた日
には、日傘や帽子を用意して行くと良い。 一般公開の開館時間は、午前8時から11時30分、午後2時から5時30分までとなっている。 入場料は1人3ドル(カンボジア人は1000リエル)。いくつかの建物内を除いて写真の撮影は 可能だが、別途持ち込み料としてカメラ2ドル、ビデオ5ドルを入り口で支払うことが必要。な お、開館日は基本的に無休としているが、特別な式典のときなどは事前に確かめた方がよ
い。 銀寺と呼ばれる由縁は、5千枚以上もの銀のタイルで敷き詰められた寺であるというところ からで、正式名は「ワット・プレア・ケオ(エメラルドの仏の寺)」という。王宮に隣接していて、 共通の入場料で拝観できる。1892年に木造で建てられた後、1962年に現在の様式で再建 築。建物自体だけではなく、中に残された数々の芸術品は1650点にも及び、カンボジアの 貴重な文化財として保護の対象となっている。中でもシソワット国王が1904年に即位した際 に収められた黄金の宝冠仏(ほうかんほとけ)は見もので、90kgの重さの純金で作られた全
身に2086個のダイヤモンドが散りばめられ、一番大きな王冠のものは20カラットだという。 敷地内には銀寺だけではなく、周りに仏典が収められた「図書館」や、歴代国王の「卒塔婆 (そとば)」、黄金の仏陀(ぶっだ)の足跡があるとされる「コエン・プリア・バット」、ヒンドゥー教の 聖なる「カイラス山」を模(も)した人口の丘、祠(ほこら)、など宗教的に意味深い建造物がたく さん残されている。敷地を囲む柱廊には「ラーマーナヤ物語」が壁画として描かれているの
で、アンコール・ワットのものと比べて観てみるのもおもしろい。 トゥールスレン博物館(S-21) Toul Sleng Genocide Museum 1975年までは、高校の校舎だった。ポル・ポトが台頭(たいとう)し、いわゆる「虐殺政治」が 始まってからは、クメール・ルージュが占領し、「犯罪者」とされる者を収容する刑務所となっ た。敷地内では数々の拷問が繰り返され、多くの罪なき人々が殺されていった。現在は、死 者を悼(いた)み、歴史を履修するための博物館として、当時の姿をほとんど残したまま、一
般公開されている。 館内には拷問に使われた道具、その様子を図に表したもの、犠牲者の顔写真が展示されて いる。なお、以前有名だった頭蓋骨(ずがいこつ)で形どったカンボジアの地図は、弔(とむら) いのために外されて、現在はなくなっている。2006年3月に、ワークショップが新しくオープン
した。
のが1953年11月9日、その記念として、 5年後に充たる1958年に、建築家とし て名高いヴァン・モリヴァン氏のデザ
インによって建造された。 が行われるほか、1月7日のクメール・ ルージュ崩壊(ほうかい)の日も掃討(そ うとう)と「独立」を祝って人々が集まり、 お祝いをする。現在では、戦争で亡く なった兵士たちを祭る慰霊塔(いれいと う)としての意味合いも持つ。市内を走 る大通り、ノロドム通りとシハヌーク通 りの交差する位置に聳(そび)え立つ姿 は壮観で、カンボジアの通貨100リエル札の図柄にも起用されている。
町の中心、ランドマーク的存在である ことから、英語ではCentral(セントラル) =中央市場と呼ばれるようになった。 1935〜37年に建造されたドーム型の 建物は、建築物としての評価も高く、コ ロニアル・イエローに塗られた外壁が アールデコ調の名残りを示している が、十字方向に伸びた棟はどこかアン コール・トムの建築法を思い起す。 2007年に外側を塗り直すなどとの改築 の計画が持ち上がっている。建物もさ ることながら、観るべきなのは市場従 来の中身。何が欲しい? 実は何でも ある……地元の人たちの生活に即した食料品、生花、文房具、生活雑貨、衣類は流行りの Tシャツから伝統的なものまで、新品から古着まで、靴や靴下や肌着や、シルクなどの織物、 宝石類、アクセサリー、化粧品、かつら、お風呂グッズ、電化製品、食器、工具、伝統工芸品 などの土産物……なんでもある、のだ。それだけ面積も広いが、数知れないテナントがひし めき合って、ぐるぐる観て回るだけで、プノンペンという街、人を、垣間見た気になれる、観光
には外せない場所。
の変哲(へんてつ)もなく、外見は寧(むし)ろ 巨大な掘っ立て小屋、に近いものがあり、中 は店々が所狭しと集まって、蒸し暑いほど。 が、町をひと通り観て回った観光客たちが、 もう一度行きたい場所として所望(しょもう)す るのは、この市場。挙げてみれば、売り物の ラインアップはプサー・トマイと似通ってしまう が、品揃えはもっとディープでマニアック。 シルクや仏像、大きな家具など、コレクター には垂涎(すいぜん)ものの骨董品(こっとう ひん)がずらりと並び……、と言いたいところ
だが、と、他の情報誌も釘をさすように、実 は偽物も多く出回っているので、どうぞ期待 しすぎませんよう。特筆ものは、衣類コーナー。異国情緒溢れる民芸品も良 いが、普 段に使える洋服が嘘のような安価で購入で きる。凝ったディスプレイはないが、問屋に 迷い込んだような 感覚で買い物を楽しめる。 服のオーダーメイドを考えて いる人には、 あらかじめ生地をこの市場で買うことをお勧 め。シルクだけではなく、コットン、化繊の布 地が多く取り揃う。また、シルバー製品、アク セサリー類も充実、在住外国人の物欲掻き 立て市場でもある。探索に疲れたら、中央 の絞りたてオレンジジュースショップで休憩が
◎。
きに名を挙げたいのがこの川沿い。た とえばタイのカオサン、東京の竹下通 り……までは及ばないが、いずれにし ても観光客や地元の人たちでいつも賑 わい、プノンペンという町の一面を描き 出す。川に沿って世界中の国旗がはた めき、よく晴れた日には空が広く、緑が 美しい。この道は「シソワット通り」と呼 ばれ、レストランやカフェバー、土産物 屋など店々が軒を連ね、昼夜問わずと 英語が達者なバイクタクシーやトゥク トゥクたちが集まってくる。このサップ川 は、近隣諸国をまたいで流れるメコン 川と合流し、また2本に分かれるというユニークな地形で有名。その4本の川の合流地点を臨
む位置に王宮が建ち、祭りや儀式の行われる場所としても国の中心地と言える。
丘を意味する。そのまま訳せば小高い 丘の上に建つ寺、と読んで字の如(ごと) くだが、もともとプノンペン発祥の由来を 持つ、町にとって意味深い場所。「プノン ペン」をばらすと「プノン」「ペン」、つまり 「ペンの丘」と読める。始まりは、1372 年、ペンという名の信心深い女性が丘 の上に寺を建てたということにちなんで プノンペンができたのである。その起源 の地に現在のワット・プノンがある。階段 を昇った上に建つ本堂やペン夫人の像 を祭った祠には、地元の人たちが参拝 に訪れるなどして、寺院として今も生き ている。丘を囲んだ敷地内には緑が生い茂り、木陰の下のベンチで昼寝をしている人、散歩 がてらお喋りに興(きょう)じる学生、象乗りを楽しむ観光客の姿などが見られ、のどかな公園 のような風景。ただし、日が暮れてからは、周囲に引ったくりや強盗が出没するなど、あまり 治安の良い場所とはいえず、徒歩やバイクで移動する人たちは夜の時間帯にはこのエリア を避けたほうが無難。ワット・プノンの敷地を出て、道路を渡って東側には、占い師の集まる 一画がある。カード占いで、恋愛や将来の運勢判断などがポピュラー。誰が良く当たるの か? 男性女性、若手長老、自身の直感で選んで見てもらうのが一番良いだろう。料金を訊 ねると、大抵が「金額は貴方が思うにお任せします」と返ってくる。相場(そうば)で2〜3ドル、 平均の20分以上長居した場合は、お礼としてもう少し上乗せすればよい。観光地というより 地元の人の行きつけの場なので、クメール語の通訳の同行をお勧めする。
美しい王宮、広い空に世界の国旗がはためくリバーサイド、そこから歩いてわずか、 像や青銅器など、数々の貴重な歴史の 芸術品が展示され…、という謳い文句 で有名だが、実は堅いことなしに訪れ て、好きなように楽しめばいい。自分自
身が行って観てきて、思ったことだ。 れた館内は、中庭を囲んでぐるりと一周 して、さまざまな時代の、多岐に渡る美 術品が展示されている。神と崇められ たジャヤバルマン七世の像、ライ王の 彫像など、本物を間近で観ることができ る。石器を模った小指の爪ほどの小さ なパーツを握り締めるブロンズ像、わざ
と傾むかせて作った箱の上に乗せた3 人組、その他諸々の細かな手作業を見 て取れる彫刻がガラスケースに陳列さ れる。青銅やメノウ、金銀を施した装飾 品も、出土地や時代とともに保管され る。一つ一つを観て回りながら、ふと視 線を感じるようにして、立ち止まった。顔 がある方向を見上げ、そして目を奪わ れた。台座に提示してあるノートを見る
と、12-13世紀に作られたものだという。 ている。石像である。それなのに、何か こちらにメッセージを送っているかのよ うな表情をしているのである。こちらが 瞬(まばた)きをすると、光の角度との錯 覚だろうか、石に刻まれて動かないは ずの像の目と、目が合い、逸れ、そして 私ははっと見直す。もう一度見上げた 石の顔は、口角があがり、また目の向 きが変わったような気がする。どきっと した。なんだ、この仏像は。閑(かん)とし た部屋の奥、特に照明や輝きがあるわ けでもなく、けれど生きている。魂が宿 る、と、書くのは簡単である。単なる目 の錯覚としてしまうのもよし、というのと 同じように。しかしただの石の塊だとなぞらえてしまうには、あまりに幻想的で、私はすっかり 魅了されてしまった。それは、ロリュオスに遺されていた、ヴィシュヌ神の妻、ラクシュミーだっ た。女性の目はいつの世紀においても、無視することができないのか? その隣りには、夫、
ビシュヌ神が雄々しく仁王立ちをしている。 よって表記はやや違うが、「太陽の活動を象徴」「世界救済の 神」「宇宙維持の神」とある。ところが、「ヴィシュヌ」とは、サン スクリット語で、もともとの意味は「遍聞・幻惑」を表すのだとい う。またぎょっとした。そういう偶然の積み重ねっておもしろい よね、なんて自身に弁明するように関係性を断ち切ろうとす る。でも。あれらの仏像には、もしかしたら本当に、神様が宿 っていたのかもしれないな、などと思いを馳せてみるのも悪く ない。
た、なんらかの期待を背負って出かけ たわけでは、ない。ただふらっと、気 の向くままに観に行った。わるくない。 専門の知識なんぞなくとも、建物や彫 刻はただ美しくそこにあり、好き・嫌 い、気に入った・入らないの自由な感 覚で観るので良いと思う。ただし、カン ボジアの王朝が辿ってきた歴史を垣 間見るためには、間違いなくこの国立 博物館に足を運んで欲しいと思う。そ して、気に入った仏像と出会ってみる のも、またひとつのカンボジアで見つ けた貴方自身の宝となることだろう。
国立博物館は、1917年に建設を 始め、クメール正月の1920年4月 13日に正式に開館された。フラン ス政府の許で管理されていたこの 博物館は、1966年にカンボジアに 帰依され、現在知られる国立博物 館の名で新たにオープン。カンボ ジアの芸術品を貯蔵するとともに 保護する活動の中心的存在とし て、また、美術、歴史、建築のあら ゆる方向を学べる国家きっての博 物館として、一般公開を行ってい る。国立博物館の裏手には、ラッ チャナー芸術大学が建てられてい て、そこでは彫刻など伝統的な技術を教えている。国立博物館の正 面扉や、屋根の彫刻は、博物館 建設当時の芸術大学生が作った ものだそう。
所在地 : Street Preah Ang Eng (St.13), Phnom Penh (王宮すぐそば)
・石川県金沢美術館6月中旬〜7月上旬 ・大阪歴史美術館7月上旬〜9月中旬
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