プノンペン市(Phnom Penh)    シハヌークビル(Sihanoukville)  シェム リアップ(Siem Reap)

 

 

 

 

はうとぅ独占インタビュー

〜指導者たちが語るカンボジアという国〜

HE. Chuch Phoeum (チョッ・プーン) 文化芸術省副大臣

近年少しずつ増加しているカンボジアの旅行者数。観光地として確実に成長しつづけ、世界から注目を浴びています。アンコール・ワットは、観る者たちを感嘆させ、畏敬の念を呼び起こすほどに壮大麗美です。カンボジアの誇る「クメール芸術」は、一体どこから来ているのか、その魅力、そして現代社会の中での行く末は? 政府としての役割は? 文化芸術省がカンボジア政府に誕生して以来の所属というChuch Phoeurn(チョッ プーン)副大臣 にお話を伺いました。

Q1. 「クメール芸術」といえば、どんなものがありますか?

A1. クメール芸術には、大きく分けて2つの種類があると言えます。目に見えるものとそうでないものとに分けて考えてよいでしょう。それを砕(くだ)いて説明すると、残されている代表的な「目に見える芸術」とは、➀ 宗教建築、➁ 絵画 です。宗教建築とは、寺院のほかに王宮や国立博物館、国会議事堂などがそれにあたります。絵画の方面では、1965年に芸術大学が設立されてから油絵が浸透してきましたが、今でも寺院の中の宗教的絵画は水彩で描(えが)かれます。「目に見えない芸術」とは、アプサラダンスなどの舞踊、スバイクという影絵、漫才などのことを指します。また、現在土産物屋などで売っている銀細工などの小物工芸品も、「見えないもの」の部類に入ってい
きつつあります。というのは、それらを作るための伝統的な技術を持つ人たちがいなくなれば、工芸品そのものも消えて失(な)くなってしまうということだからです。

Q2. クメール芸術と宗教とは、どうつながっていますか?

 

A2. 宗教がなければクメール芸術はないといってもよいくらい、深くつながっています。歴史を振り返ってみれば、カンボジアはインドの影響を受け、仏教とヒンドゥー教2つの宗教が入ってきたことがわかるでしょう。六世紀以来、ヒンドゥー教が台頭していたのですが、十二世紀、ジャヤバルマン七世の時代になり、国民の信仰の中心は仏教へと移ってゆきました。代表的な仏教の建築物を挙げると、バイヨン寺院やタ・プロム寺院などがそうです。同じ宗教建築といっても、内部の彫刻や造り方は、宗教上の理由で時代によって変わっていったのです。

アンコール・ワットも宗教が基軸(きじく)の建築物です。建築自体の素晴らしさは、当時のカンボジアの偉大な技術能力を証明していますが、技術的なことはもとより、目に見えないものを見せる……つまり、神への信仰を形に表そうとしたことが、そもそもの建設意義なのです。古代アンコール王朝、そして民の生活に必要だったものは「自然」、そしてそれと同じくらい「神の力を信じること」、つまりは信仰、宗教でした。他の世界的な古代文明と比較してみても、たとえば有名なマヤ文明やエジプト文明にも、霊や神秘の力を信じるという考えがありました。それらと同様、アンコール・ワットもまた、ただの寺院ではなく、王の墓、神の宿る場所であったということです。

Q3. アンコール・ワットは国を代表する芸術とも言えるでしょうが、その他寺院に残されていた仏像や宝などが、現在プノンペンの国立博物館に貯蔵されているのは有名です。国立博物館について少し教えてください。

A3. 寺院にあった宝が国立博物館に保管されている理由は、まさに保護のためです。カンボジア国内の博物館は、実はプノンペンの国立博物館だけではありません。さまざまな州に設立されています。遺跡に残されていた宝は、世界的にも非常に価値のあるものとして、心無い人間たちはそれを狙ってやって来ます。盗掘されたものを売る市場というものも、残念ながら存在しています。ですから、きちんとした形で保存しておくというためにも、盗まれないためにも、博物館に貯蔵しておくという意味があるのです。また遺跡に残っているものは、壊れたり風化(ふうか)したりと原型を観ることができなくなっていても、博物館に行けば美しい姿をとどめたままの彫像に会うことができるというのが良い点ですね。

国立博物館内部の造り方は、アンコール・ワットを真似ていて、それも宗教観によってデザインされたものだといえます。世界の中心にあるという須弥山(しゅみせん)を模(も)した塔を中核に置き、その周りを7つの海が囲んでいるという形ですが、国立博物館の展示のし方にも東西南北があり、中庭を囲んでぐるっと回れるようになっているのも、宗教的な見方から来ているのです。中庭も良く見てください。美しい蓮の花が咲く池がありますが、この池が、「7つの海」を表したものなのです。須弥山の頂上には神が棲(す)んでいるとされるのですが、山の麓(ふもと)から頂(いただき)までのちょうど中間点には、「ローカバール」という精霊がいて、これは国民を守る存在だといわれます。国立博物館にも、4方角すべての破風(はふ)に「ローカバール」の彫刻が施されています。どこかで何かがあったらすぐ助けに行けるように、国民を見守っているのです。

博物館は、コンポンチュナム州、シェムリアップ州、バッタンボン州、ポーサット州にもあります。そしてこれから、コンポントム州、タケオ州、バンテアイミェンチェイ州にも増やしてゆく予定です。保護するために博物館に保管すると先にも述べましたが、作品を眠らせてしまわないために、生きているものとして展示する意義があるのです。観光客の皆様にも、ぜひ足を運んでいただけることを期待しています。

Q4. 伝統芸術の分野は、現在のカンボジア社会の中でどう動いていて、そしてどのようにして護(まも)ってゆこうと国は考えていますか?

A4. 国として、伝統が途絶えてしまうのが怖い、というのが率直な意見です。フン・セン首相をはじめ、カンボジア政府として最近懸念(けねん)していることは、外国文化の横溢(おういつ)です。今の時代ですから、たとえば音楽ならロックやポップが流行し、ファッションショーが行われたりと、若者の新しいものへの興味と勢いは大変なものですが、伝統芸術をどう護ってゆくかということが、今後の課題でしょう。私たち文化芸術省としてもしなくてはならないのは、具体的には専門の資料を作ったり、本や写真、ビデオやDVDを使って、細かいところまで、私たち自らが学生たちに伝統芸術の大切さを伝えてゆくことだと考えています。

カンボジアの社会が変化してきたのは事実です。私たちが若い頃、当時は情報を得るにはラジオしかありませんでした。ラジオではいつも、「バサック」や「パンピアップ」といった伝統音楽が放送されていました。現在は、ハイテク社会です。昔……、テレビが入ってきた1950年から現在までのことを考えますと、5つしかなかったテレビのチャンネルは、ここ4−5年では衛星放送の発展によって70にも増えました。若者は、テレビに出てくるものに簡単に影響されます。パソコン、インターネットを通じて、性的な映像が誰の目にも簡単にとまるようになりました。カンボジアにも、そういった「文化」が入ってきたのです。先日、あるテレビの番組で、舞台に出てきた若い子が、セクシーな服装をしていました。風潮(ふうちょう)は如実(にょじつ)に現れています、しかし、カンボジア政府はそういったものを受け入れません。メディアは、視聴者を誘導する力があります。ですから、私たちはそこを重視しているのです。きちんとした服装でなければ出演してはいけない、と厳しく言い、力を入れるのです。文化として間違った方向に行かないために対策を考えるのも、私たちの仕事です。若者たちは、外国文化や真新しいものに心を奪われ、芸術、伝統文化を忘れてかけていっているというのが、残念ながら事実ですね。

Q5. 若者への教育や、今後育ててゆくために、国としてどのような対策を考えているのでしょうか?

A5. 最近、「目に見える芸術」の分野に関して力を入れています。偉大な文化を後の世代にも残してゆけるように、セミナーを開催しています。また私は、フランスのチョンボピールという学校と共同で、石やレンガで作った寺院の分布図をコンピュータを使って作成するという仕事を担当しました。約3千あまりの寺院がありました。そのほかにも、アンコール・ワット周辺の遺跡の修復の仕事も取り組んでいます。団体を作り、そのリーダーに任命されました。芸術文化省のスタッフの技術を活かして、コンポントムのプーム・プラサットやプラサット・アンダイ(訳注:『宙に浮かぶ寺』の意)など、他の州にある遺跡の修復にも努めています。

カンボジアの諺(ことわざ)で、こんな言葉があります。「木を1本植えたら5年後には収穫できる。人材育成では、10年20年経っても成果の行方は未知数である」。教育を与える――芸術文化省は、若いうちから教えてゆくことが大切と考え、芸術家を教師として各学校に派遣し、宗教観念や伝統音楽などを生徒に教えています。先の諺に絡めて話しますと、それが10年後に役立つことが出てくるかもしれない、ですから若いときにきちんとした教育が必要なのです。

Q6. 日本で、昨年からクメール芸術展ツアーを行っているということですが、国立博物館から、何点くらいの作品を運んだのでしょうか?
 

A6. 大きいものから小さいものまで合わせて、計82点の作品を送りました。私は、日本の東映株式会社と2年かけて交渉し、この度実行に移すことができました。日本の運輸会社にカンボジアまで来てもら い、輸送作業のすべてを行っていただきました。出展した作品は、どれも価値の決められないものばかりです。

Q7. その芸術展の開催の主旨と意義を教えてください。

A7. クメール文明を紹介するということです。カンボジアの芸術と文化を、日本の方々にもっと理解していただくために、1年と2ヶ月あまりをかけて、日本全国8カ所の美術館で開催することになりました。(訳注:2006年9月まで。開催地、日程など詳しくは本誌64ページの『国立博物館』を参照してください。)

Q8. 反響はいかがですか? 

A8. 問題なく、順調に進んでいます。ある、カンボジアに旅行に来たことのある若い女性が、この展覧会のことを知り、観に行ったそうです。年表や背景などを確かめながら、展示されている彫像などを観て回り、そして自分が一度行ったことあるにもかかわらず、もう一度アンコール遺跡を観たいと思ったというコメントをいただきました。今年中にもう一度いらっしゃるそうです。その際には、プノンペンの国立博物館にも足を運ぶと伺いました。そんなふうに、知ったことがきっかけで、もっと興味を持っていただけるというのは嬉しいことですね。

Q9. カンボジアの旅行者数は、近年少しずつ増加し、世界から注目を浴びています。観光地として確実に成長しつづけてゆく一方で、逆に心配していることなどありますか?

A9. はい、ある意味、知られれば知られてゆくほど危険でもある、と考えています。というのは、寺院は、建てられてからもう何世紀も経った古い建築物だからです。たとえば美しい夕日を観るのに有名なバケン寺院には、1日におよそ3千人が訪れます。それだけの大人数が毎日出入りし、果たして遺跡は耐えられるのか? 皆さんに観ていただきたい一方で、政府としては、きちんと護ってゆくことも考えなくてはならないのです。これからも観光客が増えてゆく中で、まもなくカンボジア政府は、新しい観光の規則を決めます。アプサラ・オーソリティーが企画立案したことが発端(ほったん)ですが、アンコール・ワットをはじめとした遺跡に入場するときは、履物(はきもの)はゴム底のもののみと定め、それ以外では立ち入り禁止というものです。また、観光客の皆さんには、一カ所に集中せず分散して観ていただけるようにしてゆきたいですね。最近では、コンポントム州にあるサンポー・プレイコック寺院にて、日本の早稲田大学の方たちが資金的な援助と保護活動を行ってくださっています。ほかにもプレァヴィヒアにあるコッケー、プノン・ダー、そういった、地方にもたくさんの素晴らしい芸術、見どころがあって、どんどん紹介して観て
いただけるようになることを、期待します。

Q10. カンボジア政府文化芸術省として、クメール芸術に関して今後の展望をお聞かせください。


A10. クメールの文化、芸術は、アンコール時代に完成に至って、それから一時的に、途絶えかけてしまう危機に瀕(ひん)しました。一度落ち込みはしましたが、今また息を吹き返し、伝統技術を甦らせ、受け継いでゆく努力を積み重ねています。こういった時代の中で、外国文化に「侵攻」されてしまうかと危惧(きぐ)しながらも、大昔から基盤がしっかりとある独自の文化ですから、芯の強さがあるのだと思っています。

 

Q11. 日本人読者の皆さん、観光客の皆さんにメッセージをお願いします。


何人の読者の方に向かって話せばよいのかわからないですが、私は文化芸術省、カンボジア政府の一員として、この雑誌を通して申し上げさせていただきます。

私は、このクメールの文化を「巨大文明」と、名付けています。過去からずっとつづいてきたクメール文明、クメール人が作ってきたあらゆる建物、作品、寺院がありますが、文化というもの、そしてそれらを作ってきた人々は、残念ですが、時代によって淘汰(とうた)されたり、ポル・ポト政権下において処刑されたりと、ほぼいなくなってしまいました。伝統の技(わざ)、文化継承(けいしょう)の活動は、近年になって、やっと復興してきたのです。


日本の皆さんにも、この文化を知っていただく機会があり、一度でもカンボジアにお越しいただけたら、嬉しく思います。アンコール・ワットを観にいらっしゃるのに、日本からだと、少なくとも10万円は費用がかかると知っています。着いてから使っていただくお金は、それは観光収入としてカンボジアの国の遺産を護り、貧富の差をなくしてゆくことに役立てています。どうか、新鮮な空気を味わいにいらしてください。おもてなしで迎えることも、クメールの文化の誇れる一面です。最後に私から一言、「文化が生きていれば国が生きてゆく」のです。どうもありがとうございました。

インタビューに御協力頂きありがとうございました。