プノンペン市(Phnom Penh)    シハヌークビル(Sihanoukville)  シェム リアップ(Siem Reap)

 

 

 

 

はうとぅ独占インタビュー

「日本とカンボジアの関わり」

高橋 文明 在カンボジア日本国特命全権大使閣下

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本とカンボジアの国交樹立の1953年以降、太平洋戦争によって被った損害に関わる対日賠償請求を放棄したカンボジアに対し、友好国として経済・技術やインフラ整備面で協力・援助をしてきた日本。

 カンボジアの内戦により、一時は正常な国交関係の中断を余儀なくされていた。が、東西冷戦時代の終焉に伴う国際環境の変化の中で、1991年の「パリ和平協定」の合意締結に日本は積極的に関わり、和平プロセスとして1993年の総選挙実施のためのPKO活動に参加、1992年には国交関係が再び正常化する。以来、日本はカンボジアの最大の援助国として、インフラ建設、社会セクター、地雷除去などの無償援助のほか、専門家の派遣などで各分野に亘りカンボジアの復興への援助、協力を続けている。

Q1. 過去、日本政府はインドネシアやマレーシア、タイなどアジア地域に限らず、他国の復興のために多くの援助を行ってきていますが、カンボジアに対しては、それ以上に積極的に関わってきていると感じます。
 日本のカンボジアとの歴史的、政治的な関わりについて、お聞かせください。

A1. 日本とカンボジアの関係は、遡って17世紀初頭、徳川家康がカンボジアへ朱印船制度の国書を送り、日本船が寄港するようになり、カンボジアへ渡る日本人が増えていったことから始まりました。

 アンコール・ワットについては、島野兼了が祇園精舎と誤解して描いた地図が水戸の彰古館に保存されています。アンコール・ワットに落書きをしたと言われている森本右近太夫も、その地図を見て渡来したということです。

 それは大分遠い昔の日本とカンボジアの歴史ですが、近代になってからの両国で考えると、カンボジアの独立の過程には、日本が非常に関係しています。

 1941年に仏印進駐を開始した日本が、1945年にはフランス軍の武装を解除しましたが、当時のシハヌーク国王もそういった状況を利用して独立運動を始めた、ということもあります。また当時、日本から派遣されていた久保田総領事はシハヌーク国王の顧問を務めていました。

  日本との「サンフランシスコ平和会議」が1951年にありましたが、この時カンボジアはまだ独立していなかったので、フランス連合内の国として参加しました。そして実際にカンボジアが独立を達成したのは1953年です。時の
シハヌーク国王が「独立十字軍運動」と称して、アメリカや国連へ行って独立を訴え、日本へ来た際に昭和天皇陛下にお会いして勇気付けられたそうです。

 その外遊から帰国した日に、今のシハモニ国王が誕生されたのです。それで、王子の呼び名を「トーキョー(東京)」と付けられました。お父さんであるシハヌーク前国王には今でも「トーキョー」と呼ばれている、というお話を国王からお聞きしました。それだけ、シハヌーク前国王は独立達成で日本の果たした役割を非常に評価してくださっているのだと思います。

 その後カンボジアは、1954年に対日賠償請求権を放棄、55年には前国王が国賓として日本を訪問し、日本の国会は対日賠償請求権放棄に対して感謝決議をしました。この訪問の際に、日本とカンボジアは両国友好条約に署名しました。それはカンボジアが独立後に初めて外国との間に結んだ友好条約であり、日本にとってはサンフランシスコで独立を回復してから、初めて外国と結んだ友好条約でした。

 当時のカンボジアは、東南アジアの中では経済発展していた国でしたから、日本としては戦争賠償の放棄を受け、それに見合った経済協力、技術協力を約束しました。それが今日に至るまで伏線となり、パリ和平協定以降、日本がカンボジアに対して第一の援助国になっている――そういった背景があります。

 また、カンボジアの内戦から和平に至るまでの日本の関わりでは、色々な意味で戦後の日本外交史上初めての事柄が多くあります。

 1989年にフランスとインドネシアが共同議長となって開催された、「カンボジア和平に関するパリ国際会議」に日本は参加したのですが、第三委員会では日本は豪州国と共同議長国を務めました。これは大戦後、日本が初めてアジアにおける第三国の紛争解決を図る会議に参加したものでした。

 翌90年6月に「カンボジアに関する国際会議」を東京で開催しました。これも第二次世界大戦後初めて日本が第三国の紛争解決を目的とする国際会議を主催したものです。

 更に翌年には「パリ和平協定」が署名されました。日本が国際的な紛争の和平協定に署名したのは、第一次世界大戦の終了を宣言した「ベルサイユ条約」への署名以来で、実に70年振りの出来事でした。

 

1991年 災害緊急援助(日赤経由)

 もうひとつの初めての話としては、日本が平和維持部隊、いわゆるPKO活動へ自衛隊を派遣したこともあります。政府レベル以外として、民間レベルでも難民支援など、カンボジアの復興を助けるために沢山のNGOが活躍し始めたのもこの頃です。ただ単に政府同士の関係だけではなく、国民の草の根レベルの活動も同時に起こっていたのです。その経験を基にしながら他の国へのNGO活動を広げていったということもあり、カンボジアは日本にとってある意味で、官民をあげた国際協力の出発点の国としての位置付けができるでしょう。東ティモール、インドネシア、アフガニスタン、イラク等の中東諸国での支援においても、カンボジアでの経験が活かされていると言えます。

 そういう意味で、カンボジア和平に対する日本の関わり方というのも、戦後の日本の外交が国際的な広がり見せる中で、カンボジアが非常に意義深い、初めてのケースとなったと言えます。

Q2. 近代日本の外交上で、友好条約の締結からカンボジア和平に至るまで、多くの初めての経験がカンボジアとの関わりの中にある、それ故にカンボジアが特別である、ということですね。

A2. そういうことです。しかし、もちろんカンボジア以外のアジアの国々とも、日本はそれぞれ特別な関係、それぞれの特徴に応じた関係がありますから、その二国間関係を踏まえ、日本としても色々な政策を考え、実施しているということです。

 麻生外務大臣が最近、国連大学の演説で「日本の平和構築における経験」と題して講演しましたが、その中で、日本はカンボジアから依然として学び続けていると仰言っています。

 日本としても、カンボジアで経験を積み、学んでいるという実績がありますから、その関係を大切にしなければならない。その気持ちはカンボジア側にも伝わりますから、カンボジアも特に真摯に対応し、日本の意見には重みを持って聞いています。

 切手になった日本の無償資金協力
Q3. 日本は最大の援助国として、あらゆる面でカンボジアを支援していますが、現在のカンボジア政府の政策への期待は何でしょうか。

 

A3. 現在、カンボジアが直面している問題は、やはり内戦、特にクメール・ルージュ政権の悪行によって政府関係者や裁判官だけではなく、教育者、お坊さんや経済人など知識階層がみんな殺され、同時に基本的な社会制度、政治制度、経済制度など全てが破壊されてしまったことに起因しています。貨幣制度も廃止され、土地制度に関わる登録、戸籍や法制度と共に、インフラ設備なども戦禍によって破壊されてしまい、「グラウンド・ゼロ」と言っていますけれど、社会・経済・政治などあらゆる面が原始的な水準に陥ってしまった。

 そういうゼロ地点から出発して、国の再建をしている訳ですから、他の紛争国などと比べても建て直すのは大変であり、日本政府としての関わり方が当然、幅広い分野になっています。インフラの再構築、制度の再構築、人材育成など、これらを通じて日本政府がパートナーとして支援していますが、カンボジア政府・国民が責任を持って実施する、自助努力が必要です。日本としてお手伝いはできますが、カンボジア政府は自分自身の問題としての意識を持って努力をしていただく、即ちオーナーシップを発揮していただく、ということが基本です。

 それから、政策面については、それぞれの方面でも日本から専門家を派遣し、制度の構築や様々な分野でアドバイスを行っています。
 

2006年度の国費留学生たちと

Q4. 日本にとって、カンボジアの再建、復興、安定がもたらすメリットは何でしょうか。

 

A4. もちろん、日本にとっては、日本の属している地域、東アジアの安定が、日本の外交の面では重要なのですが、戦後経済の世界化、国際市場の自由化の中で、アジア全体がきちんと発展して行かなければなりません。日本の経済自身がグローバル化する中で、東アジア・東南アジア地域には、日本企業にとっても、進出して経済活動を行う上での重要な利益があります。「東南アジア諸国が協力して互いに発展させたい」という政策を採っているアセアンに、ベトナム・ラオスと共にカンボジアも新たに加盟しました。東南アジア地域の経済格差を縮めながら、アセアン全体が均衡の取れた経済発展を遂げることは、日本にとっても重要ですから、日本政府としてもこれを支援するという基本政策
を採っています。

 そういう点でカンボジアの安定は日本にとって、利益があると言えます。

 特にカンボジアは、地理的に見てもインドシナ半島の真ん中、タイとベトナムに挟まれた国です。これまでは、そのために忘れられた存在でしたが、新しい目で見れば、経済発展を続けている両国の中心にあるカンボジアは、両国に自国の経済を合わせた経済圏の中心にあるという条件をうまく利用して、自身の経済発展の道も開いて行ける可能性を秘めているのだと思います。

 そういう観点から、日本はアセアンの格差是正、カンボジアの経済復興に協力して行く、ということです。

シハヌークビル港湾庁舎起工式
中央左:高橋文明大使、右:フン・セン首相

Q5. カンボジアの発展が日本企業の進出に繋がり、日本経済の発展にも結びついてゆく。そういうことなのですね。

A5. 単独ではありませんが日本企業も既に、タイ沖の石油・天然ガス開発にアメリカ企業と一緒に進出していますし、石油精製のプロジェクトの話もあります。日本企業も参加するボーキサイトの鉱物資源の開発調査が近々始まりますし、また、日本企業が現地企業と合弁でプノンペン経済特区の開発を始めています。更に、日本のオートバイや自動車メーカーとその現地の協力企業が当国で新規投資や投資の拡大を行っています。当国は農業国でここ1〜2年の農業生産性の向上には著しいものがありますので、農産加工業の分野でも進出計画を進めている日本企業もあります。この様に、ここ1〜2年で日本の企業の目も大きくカンボジアへ向いて来ています。
 

 カンボジアは内戦の時代を経て復興の段階であるため、天然資源についての充分な開発調査が進んでいません。それは逆に色々な可能性を秘めているということです。製造業においても発展する可能性があるでしょうから、企業関係者の方々が関心を持っていただければ日本自身にとっても利益があると思います。

 日本政府としては、色々な形で経済援助を行っています。インフラ設備、各種制度の改善や人材育成をして行く、これが基盤となってカンボジアが発展して行くことができます。ちょうど、日本政府がマレーシア、シンガポールやタイなどに行った経済援助の後、それが基礎となって日本の企業が投資をし、進出しました。それによってその国の経済が発展し、さらに日本の企業も潤って来たという前例の様に、相互依存関係を構築して行くことが、カンボジアの発展にも同様に重要であり、また現実的な可能性もあると思います。そういう目でカンボジアを見て、是非投資や進出の機会を見つけていただきたいと思います。

シェムリアップ発電所落成式
中央左:高橋文明大使、右:フン・セン首相

 カンボジアには、まだまだ手が付けられていない資源、例えば鉄鉱石、銅、石炭、金、稀少金属ですとか色々と鉱物資源がありますし、トンレサップ湖の地下には石油が眠っているなど、充分な探査が行われていません。そこで進取の精神に富む人たちであれば、色々と可能性を見つけることができるので面白いと思います。

 これまでは内戦の後、治安が悪く、誰も調査に入れなかったために探査が進んでいなかった訳で、逆に言えば、今は政治が安定して来て、治安も安定して来たので可能性が開けているということです。と言っても、治安は日本並みというところまで来ている訳ではありませんので、充分な注意は必要です。一頃の内戦や地雷と言ったイメージは最早時代遅れですが、小銃など武器の回収は完全には終わっていませんので、充分気を付けることは必要です。

 また、カンボジアの最近の経済成長に目覚ましいものがあることは余り知られていません。例えば2005年の経済成長率は実に13%以上です。ここ3年をとれば平均して10%以上、6年間をとれば9.7%の成長率を達成しているのです。一人当たりの年間所得も400ドルを超えた状況となっています。しかし、近隣諸国と比較すると所得もまだまだ低いですし、色々な社会指標を見ると、安全な水へのアクセスや幼児死亡率などの点で、カンボジアはまだまだ問題を抱えていると言えますので、引き続きそういう面での支援をして行く必要があります。
 

地雷・不発弾の除去活動視察(バンティアイ・ミアンチェイ州)

Q6. インフラ整備や制度の再構築が進むにつれて、経済復興も進んでいる。資源開発も始まり、カンボジア経済は年々成長を続けている一方、アセアン諸国と比較するとまだまだ未熟な段階である。所得水準も低く、社会資本も未整備であり、カンボジア国民の生活はまだまだ貧しい、ということでしょうか。

A6. カンボジアは、全般的にまだ経済開発が進んでいません。しかし、長い目で見れば、貧困が削減され、成功して来ていると言えます。例えば、80年代後半の貧困者比率は全世帯の45%でしたが、90年代後半では36%まで減少し、以降も改善され続けています。

子どもセンター訪問(バッタンバン州)

 貧困率削減のための最重要課題は、カンボジア農業の生産性を向上させることにあると思います。それは、カンボジア全土の人口の内、農村部の人口が85%を占め、農業人口が労働者の80%、そして農家世帯の内75%が貧困世帯であるからです。カンボジアの農家は稲作が中心ですが、東南アジアの他の国々の単位面積当たりの平均収穫量は2トン以上に達しているのに対して、カンボジアは2トン以下であるということからも、稲作農家の貧困の原因として、農業部門がきちんと育っていないという点が窺えます。

 我々は、この農業部門の生産性を如何にして向上させるかを考えています。カンボジアの農業は稲作が殆どですが、問題は水が、灌漑施設が足りていません。灌漑施設を造らなければいけない。それで、日本としても既に、例えばカンダルスタンという地域に灌漑施設建設の援助を開始しています。また、メコン河沿いの国道一号線沿いの地域では、既にメコン河の水を使った灌漑施設の建設を援助しました。

 しかしそれだけでは、農業生産は上がりません。殆どの農民は零細農民であって、より現金収入のある農業になかなか転換できません。例を挙げれば、シェムリアップやプノンペンでは外国からの旅行者の増加に伴って、ホテルやレストランが増えていますが、そこで出される農作物の殆どは、タイやベトナムなどの近隣諸国から輸入されて来たものです。それは、地場農民が零細農民なので、一定の品質や量の供給能力が無いためです。

 そこで日本としては、農業協同組合を組織して、農民がお互いに協力して商品開発や生産性の向上を図り、広げて行くよう提言しています。しかし、それらの組織作りは簡単には行かないのが現状です。それはポル・ポト時代に、農業協同組合というものが逆に農民を抑圧するための手段として使われた、過去の悪夢から来ています。また、それに加え、社会主義経済の下で集団農業に失敗した経験もあります。せっかく組合員が協力して集めた財産を誰かに持って行かれるという汚職の経験もあるため、なかなか決心できないのです。そういう意味で、お互いに協力して皆の利益を図ろうという態勢になっていないのが最大の問題です。

 しかし、これをやらなければいつまで経っても農業の生産性や経済性が上がって行かないので、是非、カンボジア政府には協同組合の組織制度作りを期待しています。そして、日本としてもひとつの成功例を作るために、例えば先程申し上げたカンダルスタンという灌漑施設を整備している地域に、併せて、お互いに協力して生産性を上げる農協の仕組みを作り、それがモデルケースとなり、全土に普及できればいいな、と思っています。

 カンボジア政府が農民に対する指導や普及活動を広めて行くためには、しっかりした制度や組織を作って行くことが必要です。

 農民に対して新しい生産技術や米以外の作物を栽培する技術を指導、普及して行くためには、農業省が予算をつけて農業試験場のような機関を設けて行かなければなりませんが、予算や人材が足りません。それを補うには、中央政府自身が税収面でしっかりした制度や仕組みを作り、脱税を見逃さないように税徴収力を強化し、汚職や不正が行われないように公務員の給料を上げる必要があるでしょう。
 このような面でも、日本政府としては、カンボジア政府が制度や仕組みを作るための支援をして来ています。


改修されたカンダルスタン幹線水路
Q7. 第一次産業である農業従事者の占める割合の高さから、今後のカンボジア経済の発展には農業生産性や技術、経済効率を高めてゆくことが重要で、カンボジアの貧困撲滅にとって不可欠である、ということですね。
 しかし、もちろん農村部も含めてですが、人口の半分を占めていると言われている、ポル・ポト・内戦以降に生まれた世代の就業問題が、今後のカンボジアの不安要素となっています。


A7. 同時に、農業だけでは限界がありますから、 第二次産業やサービス業などの第三次産業を発展させて、若者の労働力を吸収して行く必要があります。現在は、製造業の大半が縫製業と履物製造業ですが、現存する産業を維持しながら、経済特区などへ海外からの投資を呼び込み、産業を多角化させて行く必要があります。カンボ
ジアはまだ、他の国と比べて賃金が安いと言えますので、先ずは労働集約的な工業から始めて行けば良いと思います。

 カンボジアは農業が主産業ですから、誰もが考えるし、また、カンボジア政府も力を入れて行こうとしているのは農産加工業です。それ以外でも、労働集約的な部品産業や軽工業を誘致して、工業の幅を広げて行こうとしています。

 そのためにも、国内資本だけでは不充分なので、外国からの資本や技術を導入するための経済特区の建設が必要です。日本としても応援していますし、日本政府は国際協力銀行の円借款で支援し、シハヌークビル港の近くに経済特区を造り、運営、制度作りについての技術協力もしています。

 同時に、先程も話しましたが、日本の民間企業がカンボジア企業と合弁会社を創り、プノンペン空港の先に「プノンペン経済特区」を造って、日本も含めた外国企業の誘致活動を行っています。

 カンボジア政府は、投資をする日本の企業の立場になって考え、他国に多くの投資先がある中で、「どうすればカンボジアに来てくれるのか」という、カンボジアの利点をよく考えて行かなければなりません。

 これまでカンボジア政府自身も配慮して、税の優遇政策や投資促進のための政策は採ってきています。税制面を含めた誘致政策では、他国に比べて見劣りしない、場合によっては有利な制度を作ってきています。しかし、それだけでは日本企業の投資を呼び込むのに充分ではありません。やはり、色々な面で、例えば橋、道路、港などのインフラ整備や、電気料金、労働者の質や賃金水準などを総合的に考慮する必要があります。

 あと、もうひとつ言われているのは、汚職です。正式ではない、色々な形での費用が掛かってしまう、これをどうするか、ということです。この点についても日本は、汚職の取締り強化を求めていますし、司法制度の整備、支援を行っています。

 先程申し上げた農業協同組合を成功させるためにも、公正で規律を重んじる、公共の精神の重要さを認識していただきたい、と思っています。
 

日本カンボジア友好センター(CJCC)開所式 左:マハディール前マレーシア首相、中央:フン・セン首相、右:高橋文明大使

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2006年2月の日本カンボジア友好センター(CJCC)の開所式に、フン・セン首相と共にマレーシアのマハディール前首相に来ていただいて講演をお願いしました。その中でマレーシアの「東方政策」の趣旨として「日本人に見習い、日本人の労働倫理に学んで、マレーシア人の労働意識を改める」政策を採った経験談を講演していただきました。前首相ご自身に、日本に学んだことが如何に効果的であったかを、カンボジア政府高官や指導者たちへ語っていただき、「公共の利益・精神」に対する認識が深まれば、と思ってのことです。それは、同時に日本は、カンボジア政府が希望すれば、日本から学ぶための研修生や留学生などの受け入れに協力します、というメッセージを込めていました。

 先にも話しましたが、カンボジアはもともと発展していた国であり、敬虔な仏教国であったので、公共の利益を優先する意識や精神があった筈です。それが、クメール・ルージュ時代や内戦による社会の混乱の中でまずは個人が生き延びることが必要であったために忘れられてしまっただけなので、それを取り戻すことはできると思います。

 

バイヨン寺院での能公演

 

Q8. 日本人観光旅行者が持つカンボジアのイメージと言えば、やはり一番に、世界遺産であるアンコール遺跡群です。日本は遺跡修復などの支援をしていますが、大使ご自身のご意見をお伺いしたいのですが。

A8. カンボジアの遺跡は色々な面で重要だと思います。それは先ず、カンボジアがかつて偉大な国であった記憶を留めているもので、素晴らしい歴史・文化を持っているというカンボジア人の誇りであり、それが新しい国造りの原動力となっていることです。遺跡の修復を支援する意味は、ただ単に遺跡を良くするということだけではなく、それ以上に精神的な面からのカンボジアに対する協力としての意味合いがあります。

 そして同時に、遺跡をめぐる観光産業はカンボジアの経済再生、経済発展を図って行く上で、農業、縫製産業に次ぐ3本目の重要な柱です。 世界遺産に認定されたアンコール遺跡群ですが、これまでも日本政府も応援しています。日本政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)を派遣し、保全の分野で支援していますし、また、これに参加していない日本の他の大学からも修復チームが来て支援活動を行っています。

 しかし、本来であれば保全・修復だけではなく、考古学的見地からも発掘し調査する必要があると思います。それは、カンボジアの歴史研究や考古学の発展にも繋がるものです。カンボジアでは研究体制や管理体制が確立されていないため、今まで余り発掘は行われていません。現状では、貴重な出土品が散逸したり、盗難に遭って失われてしまう恐れがありますが、将来、カンボジアが経済的に発展し管理体制ができれば、考古学的な研究、発掘が進み、色々なことがわかってくる可能性が秘められていると思います。

 いづれ、日本の考古学関係者の方々にもアンコール遺跡に対し、もっと考古学的観点からの関心を持っていただき、日本の幅広い研究者の方々が一致団結して参加し、これまで培ってきた技術や知識を提供していただければ、国際的な研究の中で面白い発見があるのでは、と思います。同時に、これは日本の考古学が国際的な
展開を図っていく上でも大いに役立つと思います。

 そして、遺跡としてはシェムリアップ近郊のアンコール遺跡群だけではなく、カンボジア北部にあるプレァ・ヴィヒァ遺跡も、次回の世界遺産委員会において新しく世界遺産として登録される可能性があります。そうなれば、またひ
とつカンボジアに世界遺産が増える訳です。それ以外にも、コー・ケー、プリァ・カーン、サンボール・プレイ・クック、バンティアイ・チュマール遺跡など、まだまだ手が付けられていない遺跡が沢山あります。従って、まだ何十年と考古学的な宝が眠っている、と言えます。

 ただ、今のところ同時に、日本外務省としてはこれらの遺跡地域に対し、治安上の問題があるため、海外危険情報を出していますので、観光で訪れるためには現地に詳しい随行者を付けるなどの充分な注意が必要です。

 それから、遺跡の貴重な遺産が盗掘に遭い、密売されることがあります。日本も条約を結び、文化財の保護に協力していますので、日本人の方も絶対に不法取引には関与しないでください。プノンペンに国立博物館がありますが、実際、その中には、国外へ流出した文化財であったものが、国際協力によって返してもらうことができ、展示されているものもあります。

 また、アンコール遺跡を見学しても、本来置かれていた仏像やリンガ等が見当らなかったり、複製が置かれていたりします。このプノンペンの国立博物館に、多くの実物が展示されています。シェムリアップにいらしたのであれば、是非プノンペンにも立ち寄って、博物館を見学してください。日本も支援していますし、徐々に展示物も整備されてきています。


Q9. 日本政府が関わり、カンボジアは復興への努力を続けていること。しかし、経済的成功を収めるまでには、まだまだ多岐に亘った構築が必要であること。一方、カンボジアには、残されていたが故に、可能性が秘められている、ということですね。
 本日は、お忙しい中、色々なお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございます。
 最後に、日本人旅行者や在留邦人へのメッセージがございましたら、お願いいたします。

A9. カンボジアの歴史、文化に接していただいて、是非カンボジア支援に関心を持ってください。

 また、シェムリアップに旅行でいらっしゃる方は、町から少し離れると、絶対的な貧困の中で生活している農民の姿に気付かれると思います。皆様の中で、農業に従事されている方はどなたでも経験と技術を持っておられるでしょうから、カンボジアに関心がありましたら、カンボジアの農民に農業協同組合の制度作りを始め、日本の技術を指導し、伝授し、カンボジアの発展のために支援していただければ、と思います。


プロフィール:
高橋文明 (たかはし・ふみあき)
在カンボジア日本国特命全権大使
1948年8月18日生まれ
1972年、東京大学(国際関係論専攻・文化人類学副専攻)卒業後、外務省入省。フランスのモンペリエ大学及び国立行政学院にて学んだ後、若手外交官として1975年から1981年まで本省で日米安全保障関係及び条約・国際法の分野に従事。その後、本省では1986年から1992年まで、官房総務課首席事務官、西欧諸国との経済関係を担当する経済局国際経済第一課長を務めた後、情報調査局企画課長を歴任。1997年から1999年まで経済協力局審議官及び官房審議官を歴任。海外ではマレーシア、フランス、英国(参事官兼IISS研究員)、ベルギー(参事官)、イスラエル(公使)の大使館で勤務。
1999年にカナダ、モントリオール総領事に任命され、2001年にユネスコ日本政府代表大使となる。
2003年、イラク復興支援等調整担当大使の後、同年12月、カンボジア王国に特命全権大使として着任。

* 写真は在カンボジア日本国大使館からご提供頂いたものを掲載しております。