プノンペン市(Phnom Penh)    シハヌークビル(Sihanoukville)  シェム リアップ(Siem Reap)

 

 

 

 

中川 武 早稲田大学教授

1992年からアンコール遺跡修復支援活動を始め、

遺跡修復からカンボジアの復興に挑む。

 

はうとぅ編集部(以下HT): 今日は。中川教授は1994年に日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)の団長として、バイヨン寺院北経蔵の修復工事(第1フェーズ1994年11月〜1999年4月)、アンコール・トム内のプラサート・スープラ修復工事、アンコール・ワット北経蔵の修復工事(第2フェーズ1999年5月〜2005年4月)に取り組まれて来られましたが、今回の第3フェーズ(2006年1月〜2010年12月)の計画、目的をお話し頂けますでしょうか。

中川:第1、第2フェーズでの修復作業の主題は、我々日本人なりの手法できちっと修復するという、それが大きな目的でした。そして、その成果は上がっています。第3フェーズでは、我々が表に出るのではなく、カンボジア人チームにやる気になってもらい、修復作業の全てを最初から出来る様に育てていく事が目的です。以前は日本人スタッフ5名を派遣し、みんなで協議しながら作業を進めてまいりましたが、今回は日本人1名だけなので、カンボジアのチームが主体になって遣らざるを得ない体制にしています。これは望んでする面もありますが、まあ、予算も少なくなってしまったのでそうせざるを得ないのも実情です。

HT:第3フェーズでは、第1フェーズに続いてバイヨン寺院の保存修復という事ですが、中川教授にとってのバイヨン寺院の位置付けは如何いったものでしょうか。
 

プラサット・スープラ修復工事(第2フェーズ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイヨン北経蔵修復工事(第1フェーズ)

 

中川:私は、アンコール遺跡の中でも最初からバイヨンが素晴らしいと感じていました。他に大プリア・カンやコーケー、サンボー・プレイ・クックも素晴らしいのですが、アンコール遺跡の中ではアンコール・ワットよりも、最初からバイヨンに惹かれてしまいました。それは、遺跡としても価値あるものであるし、修復するのも保存するのも困難を極めるものである事が、私に何とか貢献しなければ、という思いを起こさせました。

 調査を進めるにつれ、遺跡保存修復作業を始めるとなるとレリーフの保存問題とか、随所に難しい問題がある事が分かって来ました。バイヨンの中央塔は半分以上崩れた、いつ落ちないとも限らない状態です。中央塔が落ちて、なだらかな低い景観になってしまうとバイヨン本来の価値がなくなってしまいます。従って死守しなければなりませんが、そのためには如何すればよいか。強固な補助を入れて雁字搦(がんじがら)めにすれば落ちないのかもしれませんが、今の景観を保ちながら保存するとなると、とても難しいことです。

 そういった修復工事を始めるためには、十分な資金が必要となり、今の予算ではとても出来ません。しかし、これは保存修復方法の研究が重要なのであって、予算が無くてもある程度はできます。そして、保存修復方法が確立出来れば資金は集まると思っています。それはバイヨン遺跡の素晴らしさを誰もが分かっているからです。

 アンコール・ワットは大きくて素晴らしいが、カンボジアの中で遺跡を1つ選ぶとすれば、遺跡としても文化面でも、私はバイヨンだと思っています。レリーフと中央塔の修復保存方法の研究から技術的な目処が立てば、実践的な課題が残るとしても何とかなるのではないでしょうか。まあ、その作業は私自身で出来るか分かりませんが、その時は彼(下田氏)が受け継いで遣っていくのだろうと思っています。

 

 カンボジアの専門家が先頭に立って第3フェーズを行うことで初めて専門家が育つと思っています。JSAは遺跡研究や修復技術の分野ではフランスが出来なかったことを、この10年でしてきています。基本的な資料を出す事とか、基壇を解体してオリジナルな方法で修復することはフランスでも出来なかった事なのです。1つ1つの部材を大切にすることを行ってきて、カンボジアが学んでいってくれれば、将来カンボジアは石造の保存修復技術センターになり、タイやラオス、インドネシアなどから技術者の研修を受け入れたり、技術者を派遣したり、研究面や技術指導面での輸出ができるようになるでしょう。

 フランスでは国家の事業として尊敬される優れた研究者が出ておりますが、それに匹敵するような日本人研究者が出てくるかは重要なことです。そういった人物がカンボジア研究から輩出されてくることがアンコール遺跡を通して協力してきたことの実りであり、それが第3フェーズの課題でもあると思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンコール・ワット北経蔵修復工事(第2フェーズ)                アンコール・ワット北経蔵修復工事(第2フェーズ)

 

HT:人材を育成して行く、それが将来的にカンボジアの財産になっていくということですね。

中川:最終的には研究者が育つこと、アンコール遺跡を見ていてこれだけの研究対象がある事はものすごいことで、私は普段から言っていますが、ビルマで水島上等兵が日本人の遺骨を探したように、ああいった人が出てこないと本当の意味で協力にならないし、尊敬されもしないと思っています。研究する事の重要性と探究心から、出来る範囲で情熱を持って研究していこうという人が一人でも出てくるかどうかであると思っています。

奥澤:フランスの保存修復チームから、砂岩の新材と旧材は絶対に合わないと言われたそうですね。

中川:フランスの修復作業では、表に出ない見えない部分の修復にコンクリートを使い、その分の余った石材を他の部分の修復に使用する方法を採っていたのですが、我々が新材を使い始めたら「新材を使うと大変だよ」と、わざわざ言いに来たのに、新材を使い成功すると、フランスの修復チームから「砂岩を取ってきて欲しい」と言われたことがあります。フランスの修復は形が大事であり、「新古典主義」と言いますが、形が全てを表す、従って見えない内側は近代化している。でも本当は、予算を掛けずに早く済ませる、という考えであったからでしょう。

奥澤:最近、フランス語の書物がクメール語に翻訳されて出版されましたが、その中にバイヨンの四面仏を観音菩薩と書いてあります。私は観音菩薩ではないと思っています。中川教授のお考えは如何でしょうか?

中川:フランスでも変えつつありますが、専門家が育ち、学問体系ができあがれば否が応でも変わってくるものでしょう。でも、私は観音菩薩ではないと思っています。我々の意見も問題がないとは言えないでしょうが、デーバー、デバーダーとアシュラの3つの顔であり、四面4種類の顔ではなく、2つが同じ顔であったりと、2種類か3種類の顔です。JSAの美術史の分析が正しいと思っていますが、バイヨン遺跡の入口は、間違いなく2体のアプサラとアシュラとデーバーで守っている、入口は全部そうなっています。だから、何故そうなったかを説明できればそれで良いと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイヨン寺院を守護するアシュラ(右)とデーヴァ(左)

 

HT:現在の定説ではバイヨンは仏教寺院と考えられていますが、仏教寺院ではなくヒンドゥー教寺院なのでしょうか。

中川:本尊を仏陀にして、戦略的にシヴァ、ヴィシュヌも入れています。勢力均衡と全ての神々に守護された形をとるためといわれているのが正しいと思っています。

奥澤:ヒンドゥー教も仏教も当時のアンコール王朝にあり、真の平和は宗教を統一しなければならず、王自身が両方とも祀ることで宗教対立をなくす目的があったと思います。

中川:では、その後何故仏教のレリーフが削り取られたかというと、政治的意図が強かったからではないでしょうか。王妃の父親は仏教徒であったと碑文に書かれているらしいですが、仏教徒の妻を娶ることで仏教を取り入れて仏教勢力にも軸足を置いた。でもシヴァ神、ヴィシュヌ神への信仰も強いからそれも受け入れてバイヨン寺院を建造した。

奥澤:しかし、いきなり仏教に改宗して統治するというのは難しいことではないですか。

中川:その時に如何いった判断であったのかを推測することは難しいですが、仏教も全くなかったのではなく、部分的にはあった。インドからヒンドゥー教の一種のような形で仏教も入ってきています。インドネシアなどでは8世紀頃仏教が入っております。しかも仏教とヒンドゥー教は同じ様なものとして入ってきている。インドネシアにはシヴァ神と仏陀が合体したような像が沢山あります。ですから、ヒンドゥー教の神々のひとつが仏教であるような。インドにはたくさんの宗教がありその中のひとつとしてあるのではないかと思います。インドではシヴァ派やヴィシュヌ派など1つの宗教のように、全く他を受け入れないようなものもあります。

 その意味でもバイヨンは面白いのです。色々なことは後から分かってきたことですが、見たときに思ったのは混沌としたエネルギーとか、ただものではない、と色々と感じました。

HT:確かにあれだけの空間の中に密集させているのは他に類を見ません。宗教意識が強い気がします。

中川:ああいったものはアジアが生み出したものだなあと、でっかい顔を持ってくるとか……。
 バイヨンというのは、勿論全体形式の意識はありますが、1つの塔に3つしか顔がないところもあれば、2つしか顔がない塔もあります。非常に混沌とした融通(ゆうずう)無碍(むげ)な所が面白い。3体でも四方を守ることができるという考えを持てたのではないかと考えています。

 アンコール・ワットとバイヨンを持っていることがアンコール遺跡にとって素晴らしいことだと思います。アンコール・ワットは正当な歴史の積み重ねによる発展に伴う技術力と勢力が強大になっていけば造ることが出来る。それに対してバイヨンは、如何してこんなものが造られたか、普通バイヨンの造形は考え付かないでしょう。

奥澤:アンコール・ワットが1つのヴィシュヌ神であるのに対し、バイヨンにはいろいろな神が存在している複合の建物と思えますが。

中川:8つの小塔の中にはそれぞれ別の神が祭られています。密教神とかもあります。密教はヒンドゥー的なものから派生してインドから渡来しています。唯、殆ど削り取られて残っていません。

 それから、シハヌーク元国王が内戦のあったときに国王として平和祈願に来られたのがバイヨンです。何故アンコール・ワットではなく、バイヨンなのか。考えるに、王室ではカンボジアの神々が先祖から、あるいは地方からここに集まっていると考えており、日本にとっての伊勢神宮のようなのがバイヨンではないかと。現国王のシハモニ国王が即位した後にお参りされたのもバイヨンでした。

奥澤:現在のカンボジアのお寺はバイヨンと同様です。仏教でありながら、土着の神、ヒンドゥーの神も祭られております。榊の葉に水をつけて人々に掛けますが、これは仏教行事ではなく、ヒンドゥーとか密教の行為であり、また、お寺で占いもしています。カンボジアの仏教寺院には複合の特徴があります。

中川:アンコール・ワットが正統であれば、バイヨンは異端です。しかし、正統と異端があってひとつの歴史を作ると思います。先輩の建築家が言ったことですが、アンコール・ワットができた後、もっと国が栄えて,当時世界帝国化した時点で何を造るか考えたであろう。今更アンコール・ワットより大きいものを造れば良いかというとそうではな、全く異なる構想力が生まれたのではないか。

HT:サンボー・プレイ・クックはJASAと関係があるのでしょうか。

中川:全くありません。早稲田大学の研究室で独自に研究しています。きっかけはバイヨンを遣って、ああいった円形のものはどこから来たのかを調査に行ってみるとサンボー・プレイ・クックは重要な遺跡であるにも拘わらず、昔にフランスが調査した後には保存修復作業が何も行われておらず、これは何とかしなければと思い、始めています。

 財団の助成金をいただいて一研究室だけで調査し、大事な遺跡であることをカンボジア政府に伝えて、保存地区の指定を提案し、カンボジア政府も協力的に法律化などしましたが、法が守られていないのが現状です。これから少しずつでも、保存修復工事を遣っていきたいと考えています。

 アンコール・ワットが突然できたのではなく、アンコール遺跡を大事にするのであれば、その前のプレ・アンコール時代の研究も大事にしなければなりません。ユニークなコーケーやコンポン・スバイなどの遺跡もきちんと研究することで、アンコール遺跡群へと繋がる貴重な観光資源となり、カンボジアの発展に貢献すると信じています。

 

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群S1塔内の台座の発掘・修復工事

 

HT:本日はお忙しい中、大変ありがとうございました。中川教授のバイヨン寺院に対する思いや保存  修復への情熱、第3フェーズの主目的である、カンボジア人研究者の人材育成が、まだまだ在ると言われている未発掘遺跡の今後の発掘や調査、研究から保存・修復へ連綿と受け継がれていくものと期待しております。

 

中川 武(なかがわ たけし)プロフィール
建築史家・早稲田大学教授・工学博士
日本国政府アンコール遺跡救済チーム団長
早稲田大学総合研究機構・
ユネスコ世界文化遺産研究所所長

※修復工事及びバイヨン寺院の写真提供:JASA